鬼塚翔太選手(体育学部競技スポーツ学科2年次生)

歴代のエースに肩を並べる存在に

――前回の箱根駅伝では1年生ながら1区を任され、区間2位と好走しました。初めて走った箱根駅伝の感想を聞かせてください。また、その後はどのような意識で新年度を迎えましたか?
区間2位は最低限の走りだったと思います。流れをしっかりつくるという役目はある程度果たせましたが、欲を言えば、先頭に立った上で後続ともっと差をつけて次に渡したかったという思いもあります。箱根駅伝は、出雲駅伝や全日本大学駅伝と比べても沿道の観客が多く、今まで感じたことのない雰囲気だったので少し緊張もありました。箱根駅伝の後は「トラックで勝負できるようにやっていこう」と決めて、それまでの長い距離から短い距離でのスピード強化を意識しました。2月下旬からはアメリカ・オレゴン大学での合宿も行い、ウエイトトレーニングの重要性を学ぶなど、よい刺激を受けることができ、帰国してからもそれを生かした練習を心がけました。
――春のトラックシーズンでは大会やタイムなど、具体的な目標があったのでしょうか?
春シーズンは5,000mで13分35秒を出すことが目標でした。残念ながら目標タイムには届きませんでしたが、5月の関東インカレの5,000mでは日本人トップの2位に入れたので、それまでよい練習が積めた成果ではないかと感じています。6月の日本選手権10,000mはあまりよい結果ではありませんでしたが、これは2月のクロスカントリー日本選手権優勝で得られた出場権でしたから、10,000mの練習があまり積めていなかったことが原因だと思います。
――7月のヨーロッパ遠征ではどのような収穫がありましたか? また、その後の練習や試合ではその成果を出せましたか?
関東インカレで好成績を収められたことで関東学生連盟から約2週間のヨーロッパ派遣を受けられました。關(颯人)や館澤(亨次)とフィンランドやオランダのレースに出場し、タイムを出すことが目的の1つでした。現地に到着してすぐ出場したレースは慣れない環境の中で悪天候も重なり、うまくいきませんでしたが、遠征中の最後の5,000mで13分38秒58の自己ベストが出て、よい感触で締めることができました。9月の日本インカレは、その直前までアメリカの標高約2,300mの高地で合宿をしたこともあって疲れもあり、思うような結果も出せず悔しい思いをしました。その後も調子自体は上がってこなかったのですが、あまり下を向かずに練習に取り組み、10月の駅伝シーズンに入るころには調子も上向いてきました。
――出雲駅伝は10年ぶりに優勝。全日本大学駅伝も最後まで優勝争いを演じましたが、鬼塚選手は両駅伝に出場しチームに貢献しました。
出雲は4区というつなぎの区間だったので、最低でも区間賞は獲らなければいけない立場だと感じていました。3区や6区などレースの結果を左右する主要区間で区間賞を獲りたかったという思いは残りましたが、優勝を味わえたことは素直にうれしかったですね。全日本大学駅伝は自分自身の調子は悪くありませんでした。留学生がペースの上げ下げをして揺さぶりをかけてくることはわかっていたので、自分が最初からガンガン引っ張って行こうと考えていました。しかし、風もあってなかなかペースを上げられず、後半に入って周りの選手からラストスパートを仕掛けられたときに対応できませんでした。総合成績で言えば、去年なら2位でも喜べたと思いますが、今年は優勝を狙っていただけに悔しい結果でした。
――11月には10,000mでチームトップとなる28分17秒52をマークしました。調子を上げて臨む2回目の箱根駅伝に向けて、抱負を教えてください。
全日本大学駅伝が終わって、両角駅伝監督からは「まだエースとしての走りが全然できていない。卒業生の佐藤悠基さんや村澤明伸さん(ともに体育学部卒・日清食品グループ)に比べるとまだまだ弱い」と言われ、もっと日々の生活から見直し、競技力を磨かなければならないと痛感しました。箱根は長い距離になりますが、全日本では流れをつくれずに終わってしまったので、今度は自分が流れをつくる、もしくは変えられるような走りをしたいと思っています。





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