特別インタビュー

生きる力を育むデンマークの教育~ヨーアン・カールセン氏(元フォルケホイスコーレ校長)に聞く

デンマークの教育事情に感銘を受けて松前重義(1901~1991)が学校法人東海大学を創立してから、11月で75周年を迎えた。折しも今年は日本とデンマークの外交関係樹立150周年。松前に大きな影響を与えたデンマークのフォルケホイスコーレ(国民高等学校、以下ホイスコーレ)や素地となった同国の文化・国民性について、テストロプ・ホイスコーレ元校長のヨーアン・カールセン氏に聞いた。

デンマークの文化・国民性はどんなものですか。

基本的な考え方は、人間は「分け隔てる」より「共通する部分が多い」ということです。デンマークは1864年、プロイセン・オーストリア連合軍に敗北し、国土の40%を奪われました。でも、国民は無気力になったわけではありません。国民一丸となって、残った国土の開発に全力を挙げました。広い荒れ地を開拓して豊かな農地に変えました。文化水準を高めるために、1864~69年に農村部を中心に50校余りのホイスコーレが設立されました。そこでは、デンマーク語、歴史、算数、読み書き、体育、手芸、農業技術の授業が行われました。

その教育は20年後、協同組合運動に結びつきます。農民が協力して乳製品製造場、食肉加工場、保険、銀行など協同組合を設立しました。協同組合の特徴は、全てのメンバーが1票を投じる権利しか持たないことです。乳製品製造場の総会では、50頭の乳牛を飼育する豊かな農家も、5頭の乳牛を飼育する農家と同様、1票に限られます。デンマーク文化には、平等の観念が根付いていることが分かります。人間は一人一人誰でも独自の品位と偉大な価値を有していると、ホイスコーレの提唱者、ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ(1783-1872)は言っています。

世界各国は1929年10月に発生したウォール街の株価大暴落によって始まった世界恐慌やファシズムの影響を受けました。しかし、デンマークや北欧諸国は、政治的統治制度として議会制民主主義を保つことができました。1933年、社会民主党の党首、トーヴァル・スタウニングは、農民を支援基盤とする自由党の支援を得て、社会的安定性を担保する政策を国会で採択することに成功しました。カンスラーガーゼ合意とも呼ばれるこの協約は、1950年代に本格的に花開いたデンマークの福祉国家の基盤となりました。福祉国家の実現は、デンマークの国民性ともいえる平等の精神、私たちを分け隔てるよりも、共有できる部分の方が多いといった考え方と密接に関係していると思います。

その中で、ホイスコーレの歴史と理念を教えてください。

ホイスコーレはデンマークの偉大な文化人、ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィが提唱しました。重視したのは「生きることについての啓蒙(けいもう)」でした。生命という贈り物、そして自分自身とともに生きる人生、他者とともに生きる人生に光を当てることでした。このように人生を見ることにより、情熱、活力、そして勇気が生まれます。ホイスコーレの最も重要な役割は、勇気を得ることを支援することです。ホイスコーレの目的「生への啓蒙」は、生徒が人生に対して余裕を持てる状態に導くことです。人は余裕があれば、自分にも他人にも利益や喜びをもたらす何かをすることができます。グルントヴィはそれを国民の利益と呼んでいます。

1864年にデンマークがプロイセン・オーストリア連合軍に敗れた後、ホイスコーレは確固たる信念を持ち、先頭を切って未来に対する姿勢を示しました。開発、豊かさ、発展を目標とし、明るい時代に向かって動き始めました。「国に光を。これが私たちの求めるものだ」と、詩人ヤコブセンは詩っています。協同組合運動はその精神を表しています。文明の発達に尽くす考え方は、第二次世界大戦まで続きました。

しかし、第二次大戦後、デンマーク人は文明には居心地の良い開発や、歓迎できる発展以外の要素が含まれていることを理解しました。文明に対する危機感を持ったのです。特に、科学は大量破壊兵器の原子爆弾を生み出しました。きのこ雲は現代文明の呪いのシンボルです。文明の発展は、技術の進歩だけでなく、道徳の後退ももたらします。きのこ雲は文明発展に大きな疑問符を投げかけました。

その後、デンマークでは、科学という非人道的な知的権力に対抗するものとして、音楽的なもの、クリエイティブなものが提示されました。アートと遊びの世界です。文明に批判的なインテリグループの人たちの考えは、20世紀半ばのホイスコーレの基礎となり、グループのメンバーは教師として関わりました。音楽的活動、クリエイティブな活動が重要な役割を果たすようになり、絵画、文芸、陶芸、演劇、ダンス、映画、哲学の教科が強化されました。

ただ、それでも、ホイスコーレは現代文明の危機的現象から注意をそらすことはできません。生き方を広げ、展開し、じゃまされず、自由に花を咲かせることは、当然のことではないのです。太陽を曇らせ、毒を盛るような、生命を破壊する何らかの力がかかわってくるのです。ホイスコーレを取り巻く世界に対して、学校の役割を変えなければなりませんでした。1960年、当時の首相ウィゴ・カンプマンは「私たちはあなたの声を必要としている。もしあなた方が参加しなくても、何らかのことが決められてしまいますよ」と、社会発展の方向性に関する議論に参加するよう呼びかけました。この時点で、ホイスコーレは「社会における良心のワークショップ」ともいえる役割を果たすよう任命されたと私は見ています。

これは、デンマークの政治史においても、画期的で重大な意味をもつことが起きたと思います。ホイスコーレは新たな役割として、デンマークの将来の方向性を話し合う場となったということです。問われるのは、発展と経済的成長だけでなく、どのような社会を求めているのかです。どうやって、持続可能な共同体を築きあげるのか。ホイスコーレをデンマーク社会における良心のワークショップと位置づけることは、重要なことだと思います。

平和シンポジウム(1987年)

学校法人東海大学の平和戦略国際研究所、情報技術センターの協力を得て、世界の平和と安定をめざした活動の一環として平和シンポジウムを東海大学ヨーロッパ学術センターで開催。この年のテーマは「世界平和への包括的アプローチ」で北欧諸国、米国などの研究者が参加した。

松前重義について、どんな人物と感じていますか。

私は1933年、松前重義博士とヨーロッパとの初めての出合い、特に34年のデンマーク訪問をつづった著書『デンマークの文化を探る』を再読しました。

ちょうど34年はヒトラーとナチズムが権力を掌握した年です。世界は戦場と化し、人々が虐殺され、都市が爆破され、世界的に悲劇が起きました。45年には新しい大量破壊兵器である原子爆弾が広島と長崎に投下されることになります。

しかし、松前博士がデンマークで多くのホイスコーレを訪問した時は、このようなことは知るよしもありませんでした。彼の旅行記は、たんにホイスコーレだけではなく、著者自身について記述したものともいえます。松前博士が極めて思慮深く、時代を理解することができる、知的な人物であったことは、文章の隅々からうかがい知ることができます。このことは、序文で「私は教育家でもなければ、宗教家でもなく、農業関係者でもなく、平凡なる電気の技術者である」と述べていたことからも分かり、彼の謙虚な人柄を垣間見ることができます。彼は素晴らしい才能があるにもかかわらず、生涯、謙虚な人間として歩み続けました。どんなに才能があっても、人間は人間以上、人間以下ではないことを知っていました。この考え方は、グルントヴィと通じるところがあります。

グルントヴィはよく、普通という言葉を使います。普通というのは、平均的とか退屈とかを意味するのではなく、足が地に着き、真摯に現実の生活に向き合う、平凡で本物の人生のことを意味します。普通の生活に対する喜びと結びつきは、松前博士と共通するものです。松前博士はグルントヴィの考え方を知る前に、このような考え方を持っていて、その点で2人はすでにソウルメイトだったといえるでしょう。そのことは、北ドイツの旅行を終え、デンマークに入った松前博士が「この国に来て、心はふるさとに帰った気がする」と述べていることからも明らかです。

デンマークの
国民高等学校を
訪問した
創立者松前重義
(1934年)

松前博士の知的感性は、温暖な気候で自然がカラフルで心がそそられる夏のデンマークではなく、なぜ冬に訪問したかについて述べている、著書の最初の部分に垣間見ることができます。夏は自然が勝ち誇り、その豪華さを誇示する。しかし、冬は浄化された迫力で文化が押し出される。人格を理解するには、不利な状況でどのように振る舞うかをみるべきで、同様に国民生活の特徴を理解するには、冬の寒くて、もの寂しい時期に訪れるべきだ、と述べています。

松前博士がもし、ホイスコーレに心を奪われなかったら、現在の東海大学という組織や、大学がこれまでに輩出してきた多くの重要な人材は、きっと存在しなかったでしょう。松前博士は、さまざまな形態のホイスコーレの理念に出合い、ほとんどのことに感激しました。しかし、立派でぜいたくすぎるホイスコーレには批判的で、モニュメントや宮殿のように見せようとしないホイスコーレを好みました。ここでもまた、普通で平凡な人間を重んじる彼の考え方を、鮮明に感じ取ることができます。

建学75周年を迎えた東海大学にメッセージをお願いします。

東海大学と20年以上にわたって親しく緊密な関係を持つことができたことは、私の大きな名誉であり、喜びです。全ては1990年代に、東海大学の難波克彰教授(当時)が、私が校長をしていたテストロプ・ホイスコーレを訪ねてくれたことから始まりました。この訪問が契機となって、私は同僚のクリスチャン・ケア・ニールセン、オーエ・アウグスティヌスと共に、東海大学付属高校教員に対する一連の「グルントヴィの民衆の啓蒙」に関する研修プログラムを実現させることができました。その後、私は東海大学の刺激的で優秀な先生方とも親しくお会いすることになりました。ある時は(コペンハーゲンの北20キロに位置する)ヴェズベックにある東海大学ヨーロッパ学術センターで、またある時は家内や同僚と東海大学から招待を受けて日本を訪れた際にです。特に日本訪問は私にとって忘れられない思い出です。日本の地方色の豊かさに、そして文化的な美しさに感動しました。日本は本当に比類のない国です。さらに東海大学で行われている教育や研究施設の独自のシステムに感銘を受けました。この全てが、1934年1月に松前重義という名の若くて情熱的な日本の電気技術者がデンマークを訪問しようと思いたったことから始まったと思うと、胸が熱くなります。

東海大学創立75周年、おめでとうございます。そして、現在も東海大学にデンマークのホイスコーレの伝統が根付いていることをうれしく思います。

東海大学
ヨーロッパ学術センター

1970年、デンマーク政府の協力を得て、ヨーロッパ各国の大学、研究機関、政府と学術・文化交流を目的にコペンハーゲン郊外に開設。日本とデンマークおよびヨーロッパ諸国との交流の懸け橋としての役割を果たしている。

望星国民高等学校

デンマークのプレスト市にある18歳以上の大人を対象とした寄宿制の教育機関(国民高等学校)。元々東海大学付属デンマーク校高等部・中学部として利用されていた施設を活用し、本学園の教育理念を引き継いだ教育機関として2009年に開設された。武道を中心に、日本語、英語、外国人向けのデンマーク語講座を開講。北欧をはじめヨーロッパ諸国や日本、アジア諸国からの学生が学んでいる。東海大学と交流協定を締結し、海外派遣留学先になっている。

Profile

ヨーアン・カールセン氏

1949年生まれ。77年デンマーク・オーフス大卒。1986~2017年テストロプ・ホイスコーレ校長。
長年、東海大のデンマーク研修の講師を務めた。2011~17年デンマークの倫理委員会委員。